絵を描きながらいろいろと考える。
絵を前にして、やはりある程度分かったうえで描きたくて、いろいろと考えようとするのだけれど、まさに休むに似たりでほとんど何も考えられない。像を結ばない。それでも何か、と絵を眺め粘っても無為の時間が過ぎるばかりと身に染みていても、動けずにどうしたものかと思うばかり。にらみ付けたり眠気に負けたりしつついると、もうやっちゃうかと、ふと思う。たとえばクレヨンを一つとって、切り込むように線を引く。絵皿に何か色をつくり、筆を手にする。すると頭が動き出し、手が動き出す。相変わらず確かなビジョンはどこにもない。けれど、なのに色を置くとそれに続いて次の行為が見えてくる。それは何なのか。ただ、やけくそという観もあるが、それだけではない。色を持ち、色で触れると、そこに点なり線なりが生まれる。それは同時に思考よりも直に、音のように感覚につながってくる。そうした色に内心、ほとんどいつも感動する。
線が生まれる不思議。線を引ける不思議。見る、感じる不思議。
以前よりもいっそう、考えないで描け、体を動かせと思う。色の音に従って体を動かす。それでもどうせ拭いきれない僕の判断も挿みつつ、重ねられ、絵は見えてくるのだろう。
今でも分かりたいし、前述の無駄な時間も実は無駄ではないと思ってもいるけれど、考えて動けないのは、先が見えなくてビビッているからなのだろう。これが今の僕の大きさ、小ささ。ビビるな、ではない。絵を前に、怖くないのはつまらない。怖くて、でもエイと飛び込んで、もっと思わぬものを捕まえたいというのが今の僕の夢。